*-- 読書感想文 --*

私は旅をする、本という名の世界のなかを・・・。



まよなかのパーティー <ピアス短篇集>  2005/05/07(土)
ダルメシアン 100と1ぴきの犬の物語  2005/04/28(木)
べんけいと おとみさん  2005/04/28(木)
ノンちゃん雲に乗る  2005/04/28(木)




まよなかのパーティー <ピアス短篇集>
フィリッパ・ピアス=著 猪熊葉子=訳 / 冨山房

面白いけれど、不思議。
読み終えた後に胸に不思議なカンジが残る作品です。

イギリスの田舎町で暮らしている、ごく平凡な子供たちの日常生活を淡々と書き綴った物語。
抑制の効いた文章の中に垣間見られる、激しく静かな喜怒哀楽。
私達の生きている人生そのものが、物語のようなものであるような気がします。

本書に収められた作品のうち、「よごれディック」は宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を彷彿とさせられました。
特に気に入ったのは、子供の複雑な感情を描いた「川のおくりもの」。耳の不自由なジム爺さんと、口数の少ない孫息子のジムの静かで心温まる交流を描いた「ふたりのジム」です。
抑え気味の文章の中に人間のいろいろ複雑な感情が見事に表現されていると思います。

作品に込められたメッセージを読み解くのも良し、ただ、物語として楽しむのも良し、それぞれお好みの読み方で楽しむのも面白いかと思います。
Date: 2005/05/07(土) No.7


ダルメシアン 100と1ぴきの犬の物語

ドディー・スミス=著 熊谷鉱司=訳 / 文渓堂

ディズニー映画でおなじみの「101匹わんちゃん」の原作です。

舞台はロンドン。ある日、デアリーさん夫婦と暮らす、ダルメシアンのポンゴとミセスの間に15匹のかわいい子犬たちが誕生しました。
ところが、よろこびに満ちた生活は、一気に暗転。
子犬たちが誘拐されてしまったのです。
はたして、ポンゴとミセスは、子犬たちを助けだせるのでしょうか?
(本書表紙折り返し・あらすじより)

この本の中の犬たちは、「自分が人間に飼われている」のではなく、「自分が人間を飼っている」と考えています。
ダルメシアンのポンゴとミセスも、飼い主のデアリーさんを「自分のペット」と呼び、本当は犬に飼われているのに、自分達が犬を飼っていると勘違いしている2人を、いじらしくほほえましく思っています。
私も“うさ太郎を飼っている”と思い込んでいるけど、本当は“うさ太郎に飼われている”のかもしれません。
うさ太郎も、私のこの誤りをほほえましく思ってくれているのでしょうか?

ポンゴとミセスが誘拐された子犬たちを探す時、他の犬たちもとても親身になって協力してくれます。
夕方の遠吠えでお互いに連絡を取り合い、子犬たちの消息を確認したり、捜索の旅に出ているポンゴとミセスの食事や寝床の用意をしてくれます。
犬たちの結束力の強さはすばらしいです。人間以上に思いやりの心を持っているように思います。

作者のドディー・スミス自身も何匹ものダルメシアンを飼っていたそうです。
ダルメシアンに対する深い愛情があったからこそ、この作品が生まれたのではないでしょうか。
Date: 2005/04/28(木) No.6


べんけいと おとみさん
石井桃子=著 山脇百合子=絵 / 福音館書店

ある家に、おとみさんという猫と、かずちゃんという男の子と、まりちゃんという女の子と、べんけいという犬がいました・・・。

むかし・・・まだ世の中が、今よりずっとのんびりしていたころのお話。(初版は1985年発行)
一番初めにおうちにやってきた、猫のおとみさんは「自分は九つで一番年上」と子供たちにお姉さん風をふかせます。一番年下の犬のべんけいに至っては、「いたずらぼうず」呼ばわりで、鼻にもかけません。
そんなおとみさんと、元気いっぱいでいたずら好きのべんけいと2人の子供たちの、何気ない日常を書いた作品です。
この物語のなかでは、犬も猫も人も同じ言葉で話せます。
動物も人間も区別することなく、子供たちは自分より年上のおとみさんに対して、きちんとした言葉遣いで話します。

石井桃子さんの優しさにあふれた文章に、「ぐりとぐら」でおなじみの山脇百合子さんの絵が良く合っていて、読みながら心も体もゆったりした感じになる、素敵な作品です。

私は犬好きということもあってか、べんけいが一番気に入りました。
いたずらをして怒られたり、時には子供たちの手助けをしたり、やんちゃで可愛いべんけい。この本を読んで、ますます犬が飼ってみたくなりました。
Date: 2005/04/28(木) No.5


ノンちゃん雲に乗る

石井桃子=著 中川宗弥=絵 / 福音館書店

いまから何十年かまえの、ある晴れた春の朝のできごとでした・・・。

目が覚めたらお母さんがいない・・・、どうやら、にいちゃんと2人ででかけてしまったようです、おいてきぼりにされた8歳のノンちゃんは悲しくて悔しくて、わぁわぁ泣きながら、近所のお社の池まで歩いていきます。
いつもにいちゃんが登っているモミジの木の枝に登り、下に広がる池の水面を覗くと、まるで池の中にも空が広がっているよう。雲もふわりふわりと漂っています。
「このまま飛び降りれば、池の中の雲に乗れるかも・・・」両手を離したノンちゃんは、グラリと体勢を崩し池に落ちてしまいますが、なんとそこには雲に乗ったおじいさんがいて、ノンちゃんに家族のお話をしてくれと言うのです・・・。

夢の中のお話なのか、本当に体験したことなのか、雲に乗ったノンちゃんは、おじいさんに促されるまま、自分の家族について話をしていきます。
話していくうちに、お母さんが恋しくなったり、あんなにイジワルだと思っていたにいちゃんを大切にしようと思ったり、ノンちゃんの心の中にいろんな変化が現れてきます。

最後にノンちゃんはまた雲の世界から現実の世界に戻りますが、雲で出会った不思議なおじいさんのことは大きくなってからも忘れることはありませんでした。

著者の幼少期の思い出を書いた「幼なものがたり」と同じく、すこし昔の家族の暮らしを書いた本書は、貧しくとも家族が寄り添って支えあいながら生きる温かさにあふれています。洋書の翻訳でも石井桃子さんはおなじみですが、この方の文章、言葉の表現が私は大好きです。石井さんの訳された本を別な方が訳しているのを見かけて読んだことがありましたが、やはり石井さんの文章の方が私好みでした。訳した人が違うだけで、別な本のように思われるので、誰が訳すかというのは重要なことなんだなと改めて感じました。
Date: 2005/04/28(木) No.4



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