ケータイ小説。 私は読んだことないし、本屋に置いてあるのも手に取ったことはないんですが、今日テレビで特集してて、その中身をはじめて見ました。
その特徴は以下の3つ。
1、横書き(ケータイですからね) 2、字数が少ない(これも、然り) 3、徹底的に会話調。
3の補足として、「絵文字や☆が使われる」という特徴もあり。
なるほど! これはつまり、昔なつかしティーンズハートの簡略版じゃないかっ!とコバルト世代の鴨は思いました。
女の子の一人称で、文中に星やハートを飛び散らしながら、やたら短い文章で綴られていく恋物語群。それがティーンズハート。 本を開いたら、下半分余白やん!という恐るべき文字の少なさで、説明文は少なく、会話や擬音が多いのも特徴。
いまでいうライトノベルってやつですね。 (ライトノベルにも色々あるのですが……そのへんの話はややこしすぎるので、ここでは割愛です)
テレビではどっかの大学のセンセが「新しい言文一致体だ!」なんて言ってたけど、ティーンズハートとコバルト文庫と学研レモン文庫で育った世代としては「いまさら」な気もします。
ただ。 わたしが気になったことは、ケータイ小説には「描写がない(らしい)」ってことです。 読者へのインタビューによると、「描写があるとかえって感情移入できない」んだそうです。
これだけじゃわかりにくいですね。 えと、たとえば……といま実際に書いて例を出そうとしたのですが、はずかしすぎてやめました。
読んだことあるかたはおわかりになると思うのですが、ケータイ小説って(少なくとも、今日テレビでやってた代表的なやつは)、「ポエミー」なんです。
ブログに綴る恋日記をそのままアップしてるかんじ、と言えば、いちばん近いと思います。
そこには「私」のモノローグしかありません。
「小説の真髄は描写にあり」と昔どこかの文豪が喝破したような気がしますが、描写を嫌い、ステロタイプな(と彼女たちは思わないでしょうが)ストーリーラインと感情の吐露にばかり共感したがる文化が「ケータイ小説」なのだとしたら、「物語」好きの私としては、やっぱりちょっと歯がゆくはあります。
でも。 「描写」はきっと、べつのかたちで埋もれてるんだろうとは思います。
「私」が見た「彼」のしぐさとか、感じた匂いとか、指輪をしてるかしてないかとか、そういうのは、モノローグのなかに書き込まれて、「彼」のバックボーンは見えなくても、やはり何らかの「空気」はそこに書き込まれてる、と信じたい。
自分がよく知ってることだけを読むことが読書ではないですからね。 描写から世界を構築できるのが読書の醍醐味なわけですから。
もしそれがないとしたら、さみしすぎる。
そのうち、自分で読んで確かめてみる気になるのだろうか……。
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Date: 2007/09/27(木)
No.118
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