浮遊許可証日記



読んだことないんですが。  2007/09/27(木)
気を吐け。  2007/09/26(水)
朝の4時です。  2007/09/20(木)
「船は必ずくる」  2007/09/14(金)




読んだことないんですが。
ケータイ小説。
私は読んだことないし、本屋に置いてあるのも手に取ったことはないんですが、今日テレビで特集してて、その中身をはじめて見ました。

その特徴は以下の3つ。

1、横書き(ケータイですからね)
2、字数が少ない(これも、然り)
3、徹底的に会話調。

3の補足として、「絵文字や☆が使われる」という特徴もあり。


なるほど!
これはつまり、昔なつかしティーンズハートの簡略版じゃないかっ!とコバルト世代の鴨は思いました。

女の子の一人称で、文中に星やハートを飛び散らしながら、やたら短い文章で綴られていく恋物語群。それがティーンズハート。
本を開いたら、下半分余白やん!という恐るべき文字の少なさで、説明文は少なく、会話や擬音が多いのも特徴。

いまでいうライトノベルってやつですね。
(ライトノベルにも色々あるのですが……そのへんの話はややこしすぎるので、ここでは割愛です)


テレビではどっかの大学のセンセが「新しい言文一致体だ!」なんて言ってたけど、ティーンズハートとコバルト文庫と学研レモン文庫で育った世代としては「いまさら」な気もします。


ただ。
わたしが気になったことは、ケータイ小説には「描写がない(らしい)」ってことです。
読者へのインタビューによると、「描写があるとかえって感情移入できない」んだそうです。

これだけじゃわかりにくいですね。
えと、たとえば……といま実際に書いて例を出そうとしたのですが、はずかしすぎてやめました。

読んだことあるかたはおわかりになると思うのですが、ケータイ小説って(少なくとも、今日テレビでやってた代表的なやつは)、「ポエミー」なんです。

ブログに綴る恋日記をそのままアップしてるかんじ、と言えば、いちばん近いと思います。

そこには「私」のモノローグしかありません。


「小説の真髄は描写にあり」と昔どこかの文豪が喝破したような気がしますが、描写を嫌い、ステロタイプな(と彼女たちは思わないでしょうが)ストーリーラインと感情の吐露にばかり共感したがる文化が「ケータイ小説」なのだとしたら、「物語」好きの私としては、やっぱりちょっと歯がゆくはあります。


でも。
「描写」はきっと、べつのかたちで埋もれてるんだろうとは思います。

「私」が見た「彼」のしぐさとか、感じた匂いとか、指輪をしてるかしてないかとか、そういうのは、モノローグのなかに書き込まれて、「彼」のバックボーンは見えなくても、やはり何らかの「空気」はそこに書き込まれてる、と信じたい。


自分がよく知ってることだけを読むことが読書ではないですからね。
描写から世界を構築できるのが読書の醍醐味なわけですから。

もしそれがないとしたら、さみしすぎる。


そのうち、自分で読んで確かめてみる気になるのだろうか……。

Date: 2007/09/27(木) No.118


気を吐け。
うっかり歯磨き粉で顔を洗いそうになってしまった鴨です。
うっかり洗顔クリームで歯を磨いてしまったことは、過去に一度だけあります。

すごいきめ細かい泡が口の中に広がりました。
「なんか泡が甘いなあ。おまけにクリーミーだ」と思いながらしばらく磨いていたら、ダブだった。


ところで。
最近、「気を吐く」という言葉がどうもお気に入りです。
「ガッツを見せる」と言い換えることもできるかもしれませんが、「気を吐く」。なんか強そうなかんじがしていいですね。

用例は、こんなの。↓

「花園中学の男子は代々『丸刈り』と決まっていたが、ヨシオだけはトレードマークの長髪を守り通して、気を吐いていた」

ただの校則違反くんになっちゃいましたが。


私も気を吐かねば!ということがただ言いたかったのですが、どうも気の抜けた日記になってしまいました。
うーむ。
Date: 2007/09/26(水) No.117


朝の4時です。
企画書ができた。

できた♪


ただそれだけなんだけど。
なんか嬉しい。


もう少ししたら、詳細をお知らせできると思います。
Date: 2007/09/20(木) No.116


「船は必ずくる」
「若い演劇人のための基礎講座」第4回目の今日は、ク・ナウカの宮城聰さんをお迎えしての特別講座でした。

刺激的なお話をわかりやすい言葉で話してくださって、ご本人も少年のように目をきらきらさせた素敵なかたで、とっても良かったのですが。

その講義の中でだったか、そのあとだったか、宮城さんがおっしゃっていた「<あの劇団みたいになりたい>とか、<あの劇団に入りたい>というような成功のモデルケースが今はない」というお話が印象的でした。

昔は「東京進出」が劇団の目標になったり、東京ならば「紀伊国屋ホール」がひとつのゴールになったり、そういうのがあったのです。

でも、今はそういう目標がないんじゃないか、と。

私はそれを聞いて、あらためて自分のやろうとしていることを確認する思いでした。
「わたしは自分がそのモデルケースになりたいんだな。道をつくりたいんだな」と思ったのです。いや、思っているのです。前々から。

もちろん、浮遊許可証は今のところ劇団ではないので、「劇団としての成功例」をつくることはできません。

私が模索しているのは、作家として、女として、芝居を表現手段として生きていく道です。
もちろん、何が「成功」かなんて一口では言えませんし、なにしろ道がないので、「これをすれば大丈夫」というような保証も一切ありません。
でも、私なりに「こうなったらちょっとおもしろいんじゃないか」というビジョンはあって、そのために、真逆なようですが、芝居を一時中断してでも、別のスキルを上げるのに躍起になったりしています。

「一人芝居が忘れられないうちに次の公演を打ちなさい」という周囲の声、「芝居なんてお金にならないことはやめなさい」という周囲の声、どちらも、へらへら笑って聞き流して、えっちら、おっちら、やってます。
芝居が好きなんですね、結局は。



タイトルは、宮城さんのお言葉より。
「ひたすらやってれば、必ず結果は出る」という意味です。

そうなのだ。
Date: 2007/09/14(金) No.115



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